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GUILD MEMBER INTERVIEW
人事/採用

天野翔太

何をするかより、誰とするか。
人と会社の出会いから、働く時間を楽しくする人事。

所属inc.合同会社 inc.inc.
経歴人見知り → 友人と起業 → 人事
SKILL SET

スキルセット・支援事例

企業の採用活動に関するコンサルティング採用業務の代行および人事機能の支援採用面談や候補者コミュニケーションの設計企業と候補者の価値観を踏まえた採用支援不動産仲介に関する営業支援配信事業マネジメント(TikTok・Pococha・Palmu)Instagram運用大学ミスコンマーケティング

あなたは仕事を選ぶとき、何を基準にしているだろうか。仕事内容、待遇、会社の規模、将来性。どれも働く場所を決めるうえで欠かせない要素である。一方で、天野翔太さんが大切にしているのは、もう少し人間的な感覚だ。

「何をするかより、誰とするか、みたいなことを大事にしています」

現在、天野さんは採用コンサルティングや採用代行を行う会社の取締役を務めながら、inc.合同会社の人事として採用活動に携わっている。inc.で活躍できる人と出会うこと。入社した人に「ここに入ってよかった」と思ってもらうこと。そして、候補者が会社と出会う最初の時間を、前向きなものにすること。採用することだけが、天野さんの仕事ではない。

働くことは、人生の大きな部分を占める。だからこそ、誰と働くのかは、仕事の成果だけではなく、その人の生き方にも影響を与える。

かつては人見知りで、自分の気持ちを表に出せなかった少年が、大学で100人の友達をつくろうと声をかけ、友人との仕事に10年間向き合い、働きすぎによって一度立ち止まった。その後、再び友人と会社を立ち上げ、人と会社をつなぐ人事の仕事を選んだ。

これは、出会いによって自分を変えながら、「誰と働くか」を大切にしてきた天野さんの物語である。そして、自分にとって一緒に働きたい人とは誰なのかを、私たち自身に問いかける物語でもある。

WHO I HELP

こんな方の力になれます

採用を始めたいが、何から手をつければいいか分からない方

応募は来るのに、価値観の合う人と出会えない方

採用の実務を任せられる人が社内にいない方

大切にしている価値観

何をするかより、誰とするか。

INTERVIEW

インタビュー本編

01
CHAPTER

人と関わることへの一歩——人見知りの少年を変えた、父の言葉と東京での出会い

天野さんは、広島県で一人っ子として育った。両親は銀行員。祖父は大学教授、祖母は小学校の教頭を務めていたという。真面目さや堅実さが身近にある家庭環境の中で大切に育てられた一方、天野さんの中には、周囲に迷惑をかけてはいけないという意識も強くあった。

「『こうしなきゃいけない』とか、『変な方向に道を逸れちゃいけない』という考えが強かったです」

幼い頃の天野さんは、強い人見知りだった。幼稚園へ初めて向かった日のことを、後に両親から聞いたという。友達ができるのか不安を感じながらも、嫌だとは言わず、声を出さずに涙を流しながら家を出た。

「周りに心配させないように我慢する、みたいなことを無意識にやっていたんだと思います」

自分の中にある不安や苦しさを周囲に見せず、決められた道から外れないように振る舞う。当時は、自分が何かを我慢しているという自覚さえ、ほとんどなかった。

そんな天野さんに、人との関わり方を考えるきっかけを与えたのが、父の言葉だった。小学校3年生か4年生の頃、父親へインタビューするという宿題が出た。大人になるまでに何をしておくべきか。学生の間に経験しておいた方がよいことは何か。天野さんの質問に対し、父はこう答えた。

「友達をつくること」

その言葉は、その後の天野さんの選択の中に残り続けることになる。

中学校や高校では、気心の知れた限られた友人と過ごすことが多かった。新しい人と積極的に関わるよりも、すでに関係のできている人たちといる方が心地よかった。大きく変わったのは、大学進学を機に広島を離れ、東京へ出たときである。

親からも、大学へ行くなら東京に出て、さまざまな人がいる環境に一人で身を置いた方がよいと言われていた。東京の大学には、出身地も考え方も異なる人たちが集まっている。せっかく東京へ来たのに、これまでと同じ過ごし方をしていては意味がない。そう考えた天野さんは、入学初日に友人と「100人の友達をつくる」という目標を立てた。

「人見知りではあったんですけど、友達と一緒にやればいけるでしょう、みたいな感じでした」

入学式でさまざまな人に声をかけ、連絡先を交換し、まずはつながることから始めた。最初から明確な目的や覚悟があったわけではない。

「初っ端はノリでしたよ」

それでも、その一歩によって天野さんの世界は広がった。出身地も、歩んできた道も、興味を持っていることも違う人たちと出会う。高校時代までは深く関わっていなかった友人とも、東京で再会したことをきっかけに親しくなった。決まった人間関係の中にとどまっていた天野さんは、少しずつ外へ向かうようになっていった。

大学生活の中では、本を読み、周囲の話を聞きながら、自分がどのような人物になりたいのかも考えるようになった。相手の良い部分を吸収し、自分に足りないものを少しずつ補っていく。人との出会いは、楽しい時間を生むだけではない。自分の可能性や、これまで知らなかった価値観にも気づかせてくれる。

「何をするかより、誰とするか」という現在の価値観は、一つの出来事によって突然生まれたものではない。父から伝えられた友達の大切さと、東京でさまざまな人に出会った経験。その積み重ねの中で、少しずつ輪郭を持っていったのである。

02
CHAPTER

好きな人と働きながら、自分も守る——10年間の仕事で直面した、楽しさと限界

大学時代、天野さんが仕事にしたいと考えていたのは音楽だった。高校生の頃からレコードを集め、高校2年生のときにはターンテーブルを買ってもらった。DJを楽しみながら、将来は楽曲制作に関わり、自分で曲をつくりたいと考えていた。

就職活動でも音楽業界を第一志望にしていたが、狭き門を突破することはできなかった。目指していた道が閉ざされ、一度は「仕事は何でもいい」と投げやりな気持ちになった。最初に就職したのは、イオンリテールだった。やりたい仕事として選んだわけではなかったものの、3年弱勤務した。

その後、退職を考えていた天野さんに、新たな誘いが届く。声をかけたのは、大学時代から親しくしていた友人だった。友人の父親が社長を務め、友人自身も役員として経営に関わっていた不動産業界の会社に、将来を担う存在として加わってほしいという話だった。

友人同士で仕事をすると、人間関係が崩れることもある。そう言われることは理解していた。それでも天野さんにとっては、一緒に働く人との関係性の方が重要だった。

「僕はどちらかというと、その関係性の方を大事にしたいタイプだったんです」

好きな友人と、同じ方向を向いて働く。その環境は、天野さんにとって魅力的だった。営業職として入社し、やがて人事も兼務するようになった。経験を積みながら課長となり、会社を支える立場へ進んでいった。気づけば、在籍期間は10年に及んでいた。

仕事を続けられた理由の一つには、友人と働ける喜びがあった。ただし、その働き方は次第に天野さん自身を追い詰めていった。土曜日も日曜日も十分に休めず、朝6時に会社へ行き、帰宅するのは深夜1時や2時。休めば、その後の仕事がさらに苦しくなるため、疲れていても休むことができなかった。

働き続けなければ仕事が回らず、働き続けるほど心身が疲弊する。抜け出しにくい循環の中に入っていた。

「睡眠が取れないと、人間って考えが疲弊するんだなというのを、すごく感じました」

楽しくないから、すぐに辞めたかったわけではない。親しい友人がいる。将来への期待も受けている。一般的な水準よりも収入を得ており、役員へ進む道も見えていた。何より、「誰とするか」を大切にしている天野さんにとって、好きな人と働ける環境を手放すことは、簡単な選択ではなかった。

「その大学の同級生とやるのが、すごく楽しかったんですよ」

一緒に働きたい。期待にも応えたい。その一方で、このままの生活を長く続ければ、自分自身を守れなくなる。

「体が資本なので、長く働いていく上では、自分自身も大事にしないといけない」

会社のためだけに働き、自分の人生を失ってしまえば、好きな人と働いている意味さえ分からなくなる。10年目を迎えた頃、張り詰めていた糸が切れるように、退職の意思が固まった。

人との関係を大切にすることと、自分を犠牲にすることは違う。誰と働くかが重要だからこそ、その関係を長く続けるためには、自分の心身も大切にしなければならない。天野さんは、10年間の仕事を通じて、その現実と向き合った。

退職を考えていた時期、天野さんは大学時代からの別の友人と、これからの働き方について話すようになっていた。友人はマイナビで責任者を務めた経験があり、天野さんと同じように、さまざまなことへ挑戦したいと考える人物だった。二人の間にあったのは、「楽しく仕事をしたい」というシンプルな思いだった。

「二人で会社をやってみようか」と話し、天野さんは34歳で会社員を辞め、友人と株式会社を設立した。堅実な家庭で育った天野さんにとって、起業はもともと身近な選択ではなかった。それでも、人生が一度しかないのであれば経験してみたい。やってみなければ分からないこともある。そして何より、心から一緒に働きたいと思える人がいた。

天野さんは取締役となり、友人が代表取締役を務める形で、新しい仕事を始めた。事業の軸は、採用コンサルティングと採用代行である。企業の人事機能を受託し、採用活動そのものを担う。天野さん自身も、10年間の営業と人事の経験を生かしながら、人と企業の出会いを支えるようになった。現在は、以前から経験のある不動産業界でも、不動産仲介の営業に携わっている。

友人との起業は、「何をするかより、誰とするか」という天野さんの価値観を、働き方そのものとして選び直す決断でもあった。

03
CHAPTER

出会いを、働く幸せの入り口にする——inc.で目指す、人の人生に向き合う採用

会社を立ち上げた直後は、自分たちで仕事を獲得しなければならなかった。天野さんはクラウドソーシングで案件を探す中で、inc.合同会社の求人を見つけた。掲載されていた内容から感じたのは、自由度の高さと、新しいことへ挑戦しようとする姿勢だった。

興味を持った天野さんはinc.について調べ、代表の編田琢也さんが自分と同じ年齢で、誕生日も1日違いであることを知る。大学生の頃に見ていたギャル雑誌を通して、当時の編田さんを目にしていた可能性もあり、親近感を持ったという。

その後の面談で、その印象は親近感から信頼へと変わっていった。

「同い年ですけど、尊敬できる考えを持っている方なんだなと思いました」

編田さんの考え方や人柄に惹かれ、ここであれば関わってみたいと感じた。こうして天野さんは、inc.の人事として採用に携わるようになった。

天野さんが目指しているのは、採用人数を増やすことだけではない。

「inc.で活躍している人たちが、僕が採用した人たちだという状態にしたいです。入った人たちが、『入ってよかった』と思えるようにしたい」

働く時間は、人生の中で大きな割合を占める。どの会社に入り、誰と働くのか。その選択は、収入やキャリアだけでなく、日々の感情や人生の充実度にも影響する。採用担当者は、その重要な選択の入り口に立つ存在である。

候補者に会社の魅力を伝えるだけではない。その人が大切にしているものを知り、inc.の働き方や価値観を伝え、本当に互いが合うのかを考える。天野さんは、人事の役割をそのように捉えている。

「その人の人生レベルで、結構左右されることだと思うんですよね。やりがいもですし、生活もですし」

求人票や会社のWebサイトだけで伝えられる情報には限界がある。実際に人と話したときに感じる温度や、その会社で働く人の表情、言葉の選び方から伝わるものもある。就職活動において、人事担当者との会話を通じて「この会社は楽しそうだ」と感じることもある。だからこそ、自分自身がinc.の入り口になりたいと天野さんは考えている。

「テキストベースでしか得られない情報だけじゃなくて、生身の人間が与えられることって、その人にしか届けられないと思うんです」

候補者が話を聞いたうえで、辞退することもある。採用は、すべての人を入社へ導く仕事ではない。それでも、inc.と合う人には、「どうしてもこの会社に入りたい」と感じてもらえるだけの対話を届けたい。人事として、自分の言葉と姿勢に責任を持つ。そこに、天野さんの覚悟がある。

inc.が掲げるレゾナンスドリブンでは、個人の幸福や価値観を仕事の外へ追いやらず、働くための起点として捉えている。それは、過度な働き方によって自分を見失いかけた天野さんの経験とも重なる。

一緒に働く人は大切である。同時に、自分自身が満たされ、無理なく働けることも大切である。人と人との関係を重視しながら、一方だけが我慢する状態をつくらない。互いの価値観を知り、同じ方向へ進める人たちをつなぐ。天野さんの人事は、採用という仕事を通して、そうした関係をつくる役割でもある。

将来について、現在は明確な肩書きや到達点を決めているわけではない。今後、さまざまな役割を担いながら、一緒に働く人たちと未来をつくっていきたいと考えている。

「関わる人たちに、僕と関わってよかった、楽しかった、幸せになったと言ってもらえるような、そういうものを与えられる人になりたいです」

何を成し遂げるかだけではなく、誰とその時間を過ごすのか。そして、自分と過ごした時間を、相手にどう感じてもらえるのか。

人見知りだった少年は、人との出会いによって世界を広げてきた。今度は人事として、誰かと会社が出会うきっかけをつくろうとしている。

「あの人がいたから、この会社に入った」「この人たちと働けてよかった」

そう思える出会いが増えるほど、働く時間は少しずつ楽しいものになっていく。あなたには、仕事内容を超えて「この人と一緒に働きたい」と思える人がいるだろうか。