笠井真妃
CORPORATE
GUILD MEMBER INTERVIEW
コムコムクリエイター

笠井真妃

とりあえず、やってみる。
人と組織を明るく動かす、コムコムクリエイターのギャルマインド。

所属inc.合同会社 inc.inc.
経歴ギャル → 管理部門 → 社会保険労務士
SKILL SET

スキルセット・支援事例

人事・労務に関する体制づくり社会保険や労務に関する相談・手続き組織内の情報共有や業務ルールの整理部署や専門領域を越えたコミュニケーションづくりメンバーの強みを生かす役割や組織の設計

「雑にまとめると、全部ギャルマインドなんですよね」

笠井真妃さんは、そう言って明るく笑う。人生で大切にしているのは、「いつでも選択肢があり、その中から自分で自由に選べること」。そして、その根底には「やらない後悔より、やった後悔」という考え方がある。

現在は、人事・労務の専門性を生かしながら、inc.合同会社の組織づくりに関わっている。情報を整理し、仕組みをつくり、人と人をつなぐ。それぞれの強みを見つけ、力を発揮しやすい状態を整えている。

笠井さんの肩書きは「コムコムクリエイター」。コミュニケーション、コミュニティ、カンパニー。人と人の間にあるものをつなぎ、新しい関係や可能性を生み出していく仕事である。

その原点をたどると、高校時代に参加していたギャルサーへ行き着く。学校だけが世界のすべてではない。一つの場所がしっくりこなくても、ワクワクできる場所は別にもある。興味を持ったものには、少し勇気を出して近づいてみる。そうやって世界と選択肢を広げてきたことが、現在の笠井さんを形づくっている。

アパレル、社長秘書、経理、派遣社員、ベンチャー企業の管理部門、人事、労務、社会保険労務士。一見すると異なる仕事を経験してきたが、その中心には、いつも同じ姿勢があった。気になったら動いてみる。そして、自分が選んだ道を、自分の手で面白くしていく。

これは、自分のために選択肢を広げてきた笠井さんが、今度は人と組織の可能性を広げるまでの物語である。

WHO I HELP

こんな方の力になれます

人が増えてきて、ルールや情報の整理が追いついていない方

社会保険や労務の手続きを、誰に聞けばいいか分からない方

部署をまたいだやりとりが止まりがちな方

大切にしている価値観

やらない後悔より、やった後悔。

INTERVIEW

インタビュー本編

01
CHAPTER

世界は一つじゃない——ギャルサーで見つけた、自分の居場所を選ぶ自由

笠井さんは、小学生や中学生の頃、学校をあまり面白い場所だとは感じていなかった。いじめられていたわけではない。勉強もでき、褒められることも多かった。それでも、決められたルールや「ここではこれが普通です」という感覚に、窮屈さを覚えることがあった。

「なんで、これはしちゃいけないんだろう。このコミュニティの普通って、本当に守るべきものなのかなって、よく考えていた気がします」

そんな笠井さんの世界を広げたのが、ファッションだった。高校時代は、タイトスカートに細いピンヒールのブーツを合わせる白ギャルのスタイル。京都から大阪へ足を運び、年上のメンバーもいるギャルサーに参加した。学校とも家庭とも違う人たちと出会い、イベントにも関わる。やがて、自分でも男女が参加できるサークルを立ち上げ、運営するようになった。

そこで知ったのは、居場所は一つでなくてもいいということだった。

「学校で面白くないことがあっても、ワクワクする場所は別にあると思っていました」

一つの場所でうまくいかなくても、自分のすべてが否定されたわけではない。別のコミュニティには、違う役割や友人がいる。学校では知らなかった考え方や生き方にも出会える。複数の場所に自分の顔があることで、世界は広がり、選択肢も増えていった。

「動いてみたら新しい世界が広がった、という成功体験が、あの頃にどんどん増えていったんだと思います」

一方で、笠井さんには完璧主義な一面もあった。勉強も運動も、できて当たり前。幼稚園の頃には、逆上がりがすぐにできなかっただけで深く落ち込んだこともある。周囲からどう見られているかを意識し、理想の自分と現実の自分との間で悩むこともあった。

だからこそ、学校の外にある世界との出会いは大きかった。人にはさまざまな得意があり、生き方がある。見た目と中身が一致するとも限らない。成績の良いギャルとして過ごした自分自身もまた、人を一つの印象だけで決めつけられないことを体現していた。

高校卒業後は、好きだったファッションを学ぶため、服飾の専門学校へ進んだ。そこで出会ったのは、服を自己表現として愛し、強い個性を持つ学生たちだった。その中で笠井さんは、自分が服をつくること以上に、商品をどう伝え、どう提案し、どうビジネスとして成り立たせるかに興味を持っていることに気づく。

「ファッションを通して接客することや、ビジネスとして考えることの方が、私は楽しいのかもしれないと思いました」

好きなものを選んだからといって、最初に思い描いた道を進み続ける必要はない。実際に経験したからこそ、自分に合う部分が見えてくる。違うと感じたら、その先でもう一度選び直せばいい。高校時代に身につけたその軽やかさは、笠井さんのキャリアにもつながっていった。

02
CHAPTER

選んでから、面白くする——異なる仕事を渡り歩いて見つけた、自分の得意

専門学校を卒業した笠井さんは、東京へ移り、ラグジュアリーな商品を扱うセレクトショップへ入社した。富裕層の顧客に洋服を販売し、ライフスタイルまで提案する仕事だった。

「忙しかったですけど、すごく楽しかったんです。お客様に洋服やライフスタイルを提案する中で、仕事ってこんなに楽しいんだと思いました」

販売を続けながら、新卒採用の面接や研修にも携わり、人事の仕事にも触れた。約3年半が経った頃、会社の方針が変わり、笠井さん自身にも人事への異動が提示された。残る道もあったが、自分がその会社を選んだ理由と、これから向かいたい方向を考え、次の勤務先を決めないまま退職した。

「転職することに、そこまで怖さはなかったと思います。最悪、食いっぱぐれることはないだろうって」

次に選んだのは、小規模なエステ会社だった。社長秘書を務めながら、経理や人事など、本部のさまざまな業務を担当した。会社はどのように動いているのか。経営者は何を見て判断しているのか。会社全体を近くで見てみたいという好奇心から選んだ仕事だった。

そこで得られた学びは多かった。一方で、自分が責任を持って承認することが難しい判断にも直面した。自分が責任を持てる範囲を考えた結果、長く働き続ける場所ではないと判断し、次の道を選んだ。

その後、少しペースを落とそうと、自宅近くのケーブルメーカーで派遣社員として働き始める。腰掛けのつもりだったが、気づけば約4年間勤めていた。仕事内容や業界が理想通りでなくても、周囲と関係をつくり、自分なりの面白さを見つけることができたからだ。

「私、仕事の中身に関係なく、何でも面白がって働けるんだなって、そこで気づきました」

どの環境でも、自分の居場所をつくれる。決められた業務の中にも、工夫できる余地を見つけられる。笠井さんの明るさは、条件の整った場所でだけ発揮されるものではなかった。自分から周囲に働きかけ、今いる場所を少しずつ楽しいものに変えていく力だった。

30歳を迎える頃、笠井さんは、このまま同じ環境で働き続けた先の自分を想像するようになった。

「ここで働き続ける未来もあると思いました。でも、私はまだ違う世界も見てみたかったんです。30歳になる今なら、年収を下げてでも、新しい環境に飛び込めるんじゃないかと思いました」

次に掲げた条件は、これから伸びる分野であること。そして、会社がつくられていく段階に関われることだった。会社員として働いてきたものの、会社がどのように生まれ、組織になっていくのかを、自分はまだ知らない。それなら、創業期のベンチャーに入り、その過程を近くで見てみたい。

そうして入社したのが、大阪大学発のディープテックベンチャーだった。東京拠点の立ち上げ期で、組織にはまだ数人しかいない。周囲には、研究者や士業など、高い専門性を持つ人たちがいた。

自分には、彼らと同じ研究や技術の専門性はない。では、その人たちが持っている能力を最大限に発揮するために、自分には何ができるのか。笠井さんは、管理部門の業務を引き受け、組織の仕組みを整えていった。

「専門性では勝てない。でも、この人たちを生かすために何ができるだろう、と考えるようになりました」

専門家が本来の仕事に集中できるよう、情報や業務を整理する。複雑なことを仕組みに変え、誰もが動ける状態をつくる。一人ひとりの力を見ながら、能力が発揮される土台を整える。それこそが、笠井さんの得意なことだった。

その強みを生かす領域として、人事や労務の専門性も深まっていった。労務の知識を学ぶ中で、顧問の社会保険労務士や当時の社長から、社会保険労務士の資格取得を勧められた。

「挑戦する価値があるし、もし失敗しても学びは残る」と背中を押され、仕事が終わった後、毎日のようにカフェで勉強した。そして、社会保険労務士試験に一度で合格する。

最初から、社会保険労務士になるという大きな目標を掲げていたわけではない。目の前に挑戦できる機会があり、できることを広げるために手を伸ばした。その結果が、新しい専門性につながった。

ベンチャーには約8年間在籍した。会社が勢いよく進む時期も、思うように進まない時期も経験した。もちろん、失敗も少なくなかった。それでも、笠井さんは、挑戦しなければよかったとは考えていない。

「失敗しても、結局は学びや経験になります。チャンスがあるなら動いてみる。その繰り返しで、私の人生は成り立っている感覚です」

選んだ道が、最初から正解だったとは限らない。それでも、その場所でできることを探し、うまくいかなければ、経験を持って次へ進む。笠井さんは、そうやって選択を重ねるたびに、自分の得意と役割を見つけてきた。

03
CHAPTER

自分の自由から、みんなの自由へ——人の力をひらく、コムコムクリエイターの組織づくり

笠井さんがinc.と出会ったきっかけは、inc.メンバーからの紹介だった。inc.が社会保険労務士を探していると聞き、自分の専門性で手伝えるかもしれないと話を聞いた。

そこで知ったのが、inc.の掲げるレゾナンスドリブンとギルド型法人の考え方だった。個人の価値観や幸福を仕事の起点に置き、異なる専門性を持つ人たちが共鳴することで、チームとしての成果を生み出していく。その思想に触れたとき、笠井さんは、ベンチャーで働いていた頃の感覚に近いものを感じたという。

「この考え方にすごく共感しました。ここで自分が貢献できることがあるなら、関わってみたいと思ったんです」

最初は、社会保険労務士として必要な手続きを担った。それが一段落した後、笠井さんは、あらかじめ用意された役割に入るのではなく、「今のinc.が少しでも前へ進むためには、何が必要だろう」と考えた。

見えてきたのは、情報共有の方法、メンバーの迎え入れ方、役割やルールの設計など、メンバーが力を発揮する前段階にある課題だった。高い専門性や意欲を持っていても、必要な情報が届かなければ動けない。互いのことを知らなければ、相談や連携も生まれにくい。

「入った人の能力が、最大限にドンと発揮できる組織をつくりたいんです」

笠井さんは、部署や専門領域の間にある距離を縮め、人と人が話し始めるきっかけをつくろうとしている。一度会話が生まれれば、心理的な距離は思っている以上に早く縮まる。別々に活動していた人同士がつながることで、新しい仕事や価値が生まれることもある。その最初のフックをつくることが、笠井さんの得意分野だ。

「コムコムクリエイター」という肩書きは、以前の職場でメンターだった人物から贈られた。笠井さんは、自分には、ゼロから作品を生み出すようなクリエイティビティが足りないと感じていた。

すると、メンターは伝えた。目に見える作品をつくることだけが、クリエイティブではない。人とのコミュニケーションの取り方が、ものすごくクリエイティブだ、と。

「それを聞いた時に、『私にもクリエイティビティがあるんだ』って、すごくうれしかったんです」

人の良いところを見つける。本人がコンプレックスだと思っている部分を、違う角度から価値として捉え直す。相性の良い人同士をつなぎ、その間に新しい関係をつくる。

コミュニケーション、コミュニティ、カンパニー。人と人の間にある「コミ」を動かし、新しい可能性を生み出す。それが、笠井さんのクリエイティビティである。

高校時代、学校以外にも居場所があると知ったように、組織の中でも、人が一つの役割や評価だけに閉じ込められる必要はない。見方を変えれば、本人が弱みだと思っているものが強みになるかもしれない。つながる相手が変われば、まだ表に出ていなかった能力が発揮されるかもしれない。

必要なのは、人を決められた型にはめることではなく、その人が自分らしく動ける余白と選択肢をつくることなのだ。

笠井さんには、「10年後にこうなっていたい」という固定されたゴールはない。10年前には、今の自分を想像していなかった。これからも自分は変化していく。だからこそ、未来の形を先に決めるより、その時に「今だ」と思った方向へ動ける自分でありたいと考えている。

「選択肢をちゃんと目の前に並べて、自分の好きなものに手を伸ばせる人でありたいです」

年齢を重ねても、好奇心を失わない。新しい人と出会い、新しい世界を面白がる。うまくいかないことが起きても、それを人生の一つの章として、次へつなげていく。

自分の人生を自由に選び、その選択を明るく肯定してきた笠井さん。その自由は今、自分一人のためのものではなくなっている。

誰かの強みを見つけ、人と人をつなぎ、一人ひとりが自分の力を発揮できる組織をつくる。

かつて、自分の居場所と選択肢を広げてくれたギャルマインドは、今、人が自分らしく働ける環境をつくる力へと形を変えている。